五月雨に物思ひをれば時鳥夜深く鳴きていづち行くらむ(『古今和歌集』紀友則)


五月雨の音を聞きながら静かに物思いにふけっていると、ほととぎすが夜更けに鳴いて行ったが一体どちらへ行くのだろうか。


梅雨のシーズン真っ只中ですが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。
私はというと、低気圧が近づくとどうにも頭も体も重くなり、気持ちも晴れずにおります。
寝苦しい夜も少しずつ増え、まだ夏に慣れていないので夜中に何度も目を覚ましてしまって寝不足であることも手伝っているかもしれません。

こんな時はゆったりと静かな時間を持ち、心穏やかにすごしたいものですね。
少しでも梅雨を快く過ごす工夫をせねばと思う今日この頃です。

さて、今回の歌はまさに梅雨の夜。夜中に眠れず物思いにふけっていたときに鳴いたほととぎすの声を紀友則が詠んだ歌です。

「五月雨」は現代では五月のすがすがしい晴天が続く中でたまさかに降る雨のことを指すようです。
しかし旧暦世界では五月が梅雨真っただ中の季節。
つまり「五月雨」は梅雨そのものの雨のことを指していました。

それを思うと、松尾芭蕉の「五月雨を集めて速し最上川」の情景にも納得がいきます。
たまさかに降った雨では、大きな河川が濁流までにはなりそうもありません。

紀友則の歌はこの梅雨の雨が降りしきる夜のこと。
月も星もない五月闇の中、聞こえてくるのは雨の音ばかりの静かな夜です。
その静寂をを切り裂くように鳴き過ぎて行くほととぎすの声。
あとには再び雨の音だけが残り、それまでの静けさがいやがおうにも引き立ち闇に沈んでいきます。

聴覚に訴えかけるほととぎすの声を詠み込んでいるのにもかかわらず、かえって静寂を引き立たってきていることを感じますね。

静かな梅雨の眠れない夜に、ふとほととぎすの声が聞こえてくる環境が羨ましいです。
不愉快な状況の中にも雅をすくいあげるその感性にも脱帽です。

同じ状況でも、都会に住む私が夜に聞き取ることができるのは遠くを走る電車の音。
それはそれで「浸れる」、ある意味悪くない都会的景物ではあるのですがねぇ。

これがほととぎすなら、もう少し快い気持ちで眠れぬ夜を過ごせたかもしれません。

(梅雨のぐったりを言い訳に、「乃東枯」の候を過ごしそうになっておりました。あぶない、あぶない。苦笑)

*写真は雨に煙る神宮外苑絵画館。