春雨のしくしく降るに高円の山の桜はいかにあるらむ(『万葉集』巻8・1440河辺東人)

春雨がしとしと何度も降るので、高円の山の桜はどうなっているだろう。


東京の桜の開花宣言の前日は大変な土砂降りの雨でした。
夕方には今年初めての雷が鳴り響き、早いなぁと思ったものです。
折しも卒業式シーズン、雨の中巣立ちを迎えた人もいたことでしょう。
しっかり催花雨となってくれたのですね。

そうしてせっかく咲いた桜の花も盛りを過ぎ、桜吹雪の季節となってきました。
雨が降ると桜は一気に散ってしまい、どこか寂しい気持ちに。
「花散らし」「桜流し」とはよく言ったものですね。
桜は散りゆく姿さえ美しいです。

しかし歌の中での春雨は「しくしく」とどこか静かで悲しげな風情ですが、ここ最近の春雨はどどっと降って、すでにスコールのようです。
こんな雨に降り込められたら、散りかけの桜なんて一発で丸裸になってしまいそうで。
「山の桜はいかにあるらむ」と悠長なことを言ってられないかもしれません。
「いかにあるらむ」は散ることを心配した言葉とも、雨に濡れた桜の風情を想像してゆかしく思っている言葉ともとれますが、最近の雨からは心配の気持ちしか生まれません。
すぐにでも出かけて行って、雨とともに散る桜を愛でたいとそわそわしてしまいます。


さて、雷で思い出すのが宮中にある「雷鳴の壺(かんなりのつぼ)」。
後宮七殿五舎のうちの一つ、襲芳舎(しほうしゃ/しゅうほうしゃ)の呼称です。
淑景舎は桐壺、凝花舎は梅壺・・・と庭の木にちなんだ雅な呼称なのに、ここだけなんともユニークな名称で目を引きます。

雷が落ちた木をそのままにしておいた「霹靂木」があったためとも、雷の時に天皇が避難し魔除けの鳴弦をさせたためとも、由来には様々あるようです。


もしも出来るなら、春のスコールに遭う桜の木を雷鳴の壺に避難させてあげたい。
スコールのような雨で一気に散ってしまうとしたら、せっかくの美しい散り際が台無しです。
最近の春雨の風情からはそんなことをつい思ってしまう今日この頃です。