気づけば2月も後半、旧暦では明日から2月となりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

さて、2月は如月。諸説あるようですが、もともと寒さゆえに着物を重ねて着る月ということで「衣更着(き-さら-ぎ)」と呼んだことから中国で二月を意味する言葉として使われていた如月(ピンイン)を当てたというお話もあります。

さて、昨年は平成から令和へと代わり目ということで、天皇皇后両陛下の装束も話題になりました。いわゆる十二単と呼ばれる唐衣裳(からぎぬも)も、わかりやすく言えば重ね着をしたものです。日本の装束や衣服は重ね着の文化との言えます。

毎日着物生活をするようになり、「重ね着」は着物だけでないと気づくようになりました。

日本家屋を考えてみましょう。夏場は、障子や襖を外したり、簾(すだれ)を使ったり簾をはめ込んだ御簾戸(みすど)を使うことで室内に風を通すことで、湿気が溜まることを避けました。木や和紙などを使っていることも湿度の調整から考えると納得がいきます。冬場は囲炉裏を除くと弱い火力の火鉢で暖を取っていた日本家屋では、障子や襖で空気の階層を作り外気から冷気を遮断していました。これはまさに「重ね着」の構造で作られた住環境だと言えます。

洋服はもともと乾燥している地域から生まれた服で、手首や首回りを閉じる事で体に適度な湿度を保つ構造になっています。欧州の住居は石や煉瓦などでできており密閉性の高い住居です。

現代の日本では、湿度が高い夏に体に密着した洋服を着ていると暑いために、エアコンで強制的に冷やすか、肌を露出する衣服を着ることになります。着物の場合は、夏は麻を着るなど速乾性の高い素材を使うことはあれど、構造としては冬と同じ形です。これは障子と夏障子(御簾戸)の関係によく似ています。


現代では、衣服はファッション性に目がいきがちですが、様々な国々でそれぞれ独自の衣服が発達した背景には生活環境における機能性も重要です。

<三才圖會/国立国会図書館デジタルコレクションより>

現在の着物や江戸時代前期頃の小袖のルーツは、漢民族の漢服にあると言われています。三国志の諸葛孔明が着ている衣装をイメージしてみて頂くと、着物に近い合わせのある服に腰には帯状のものを巻いています。形は似ているように見えるものの、構造は同じではありません。もし漢服が原型だったとすれば、日本に伝わった後に湿度の高い日本では独自の発達をしたと言えます。


そして、季節の細かい変化に合わせて、調整がしやすいように重ねて着るようになったのかも知れません。
十二単の衣装は15〜20kgくらいあるそうです。平安貴族は競い合って重ねて一時は20枚にもなったとか...とても動けたものではありません。

今年の重ね着は、気温からすると例年よりも早く枚数が減らせそうですが、流行病いで気持ちよく外を歩けるのはもう少し先になりそうです。